「のぞえ牧場GALLOP(ギャロップ)」(福岡県久留米市藤山町)は、2024年5月にオープンした、障がいのある人の社会生活をサポートする就労支援施設だ。
隣接する「のぞえ総合心療病院」と連携して、施設内の牧場で飼育する馬と触れ合うことで治療やリハビリを行うホースセラピーを導入している。
のぞえ牧場GALLOP(ギャロップ)の外観
ホースセラピーは1900年代初めごろにヨーロッパを中心に広まり、馬が人に与える精神・身体的な治療効果の高さに注目が集まった。日本へは1992年に理学療法のひとつとしての「乗馬療法」が導入された。
敷地内に併設されたレストラン「TROT(トロット)」もユニークな特徴だ。ハンバーグやヒレカツ、うな重などを楽しめるレストランに加え、就労支援施設としても機能している。
今回は、医療法人コミュノテ風と虹 のぞえ総合心療病院の理事長/院長、堀川公平(ほりかわ・こうへい)先生と事務部長の青木和茂(あおき・かずしげ)さんに、就労支援事業B型「のぞえ牧場GALLOP(ギャロップ)」と精神医療の現場で活躍する馬たちについて、ペトモニの髙野と天野が話を聞いた。
設立の経緯
牧場は市街化調整区域に立地。施設のすぐ横にマンションが見える
天野:設立の経緯をお教えいただけますか
青木:私たちはこれまで、精神科の病院(のぞえ総合心療病院)で外来・入院治療を20年以上、行ってきました。日々の治療を通じて動物介在療法の有用性を感じており、理事長からの提案もあってある施設の見学に行ったのがきっかけです。
そこで、馬と接する患者さんの症状が大きく改善するのを目の当たりにし、「ぜひホースセラピーを導入しよう」と理事長から提案があって設立が決まりました。
ところが、牧場の建設予定地が市街化調整区域で、国内では過去に(市街化)調整区域に牧場を建設した前例がなかったため建設の認可がなかなか降りず、私たちも困ってしまいました。
その後、久留米市と協議する中で、久留米市長が「患者さんの治療に役立ち地域貢献にもなる。前例がなければここを最初にすればいい。開発を進めてもよいのでは」と言っていただいたのです。
髙野:力強い言葉ですね。
青木:市長の心強い言葉に背中を押されて、患者さんや地域に根差した「動物と触れ合える施設」を作るプロジェクトが動き始めました。
髙野:そこから一気に話が進んだのですか?
青木:いいえ。市街地に牧場を作るなんて「とんでもない!」と言う人がたくさんいました。そこで理解してもらえるようにQ&Aなどを作成して、何度も説明することで不安を払拭していきました。
牧場での取り組み
「のぞえ総合心療病院」事務部長の青木和茂(あおき・かずしげ)さん
天野:牧場ではどんなことに取り組んでいますか?
青木:牧場を立ち上げる時にさまざまな事業計画を立てました。ただ、計画がどんなに素晴らしくても事故が起きたら本末転倒です。現在は、乗馬の専門家に常駐してもらって、まずは事故が起こらない運営の仕方を学んでいます。
取り組みとしては、就労支援の人たちや職員に協力してもらい、馬に携わることで社会的、精神的に心がどのように変化するのかを調べています。また、得られた変化を東京農業大学と共同で数値化する研究もしています。
欧米に比べて日本の動物介在療法は非常に遅れています。私たちは4、5年先を見据えて、まずは有効性を裏付けるエビデンスが必要だと考えています。
天野:牧場には現在、何頭の馬がいますか?
青木:いまはポニーが2頭。ミニチュアホースが2頭、道産子が2頭いて、そのうち1頭は病気で手術をして、現在は別の施設で療養中です。
みんなが知らない精神科の現実
木目調で暖かい雰囲気の内観
青木:精神科と聞いてどんなイメージを持ちますか?
天野:入院すると長期間退院できないとか、薬をたくさん服用するとか、コミュニケーションを取るのが難しいとか…完全に素人のイメージですが。
青木:そうですよね。私は銀行員を経て7年前からこの病院でお世話になっています。私もこの病院に就職するまでは天野さんと同じように思っていました。でも実際は全然違います。
当院の患者さんは平均45日で退院します。一般的な精神科では7、8種類の薬を服用して、副作用が出る人も多いのですが、当院では単剤療法といって、多くの薬を処方しません。
髙野:なるほど。ホースセラピーは薬を使わない治療の一環なのですね。
青木:当院では1日平均で約370人の外来患者さんが来ます。実は精神疾患に悩む人の数は、皆さんが想像するよりもはるかに多いのです。また訪れる患者さんの年齢が若いのも当院の特徴です。
ホースセラピーとは
牧場ではどの馬も人とフレンドリーに接する
天野:定期的に施設を訪問するセラピードッグや、病院に常駐するファシリティードッグなど、さまざまなアニマルセラピーがあります。そのなかでホースセラピーにはどのような効果がありますか?
青木:ある研究によると、馬は人の気持ちがわかるそうです。人の表情から心を読み取るとのことですが、単にこちらをじっと見ている馬の姿がそう思わせるのかもしれません。
自分がイライラしながら馬と触れ合っている時などは、どこか心を見透かされている気がして、なんらかの自浄作用が働くと感じています。
以前、見学した社会福祉法人で、生まれつき体が不自由で車椅子に身を委ねている子どもが、馬に乗った途端に背筋がスッと伸びて乗馬を楽しんでいた方を見ました。
また、この牧場で就労支援している女の子も、落ち込むとまったく動けなくなってしまいますが、「馬が待っているよ」と声を掛けると急に動けるようになります。不思議ですよね。
天野:効果が目に見えて感じられるのはすごいですね。
青木:牧場を建築して馬と触れ合うようになってから病院で働く私ども変わりました。理事長は毎日のル-チンとして朝の7時15分から馬の回診をしてから、入院患者さんの回診に行きます。理事長が早朝に来るので私も7時に馬に会うのが日課となりました(笑)。
休みの日でも朝早く起きないと落ち着きません。ただ、早寝早起が出来て健康維持になっていますね。
天野:さまざまな効果がありますね。研究が進んで数値化されるのが楽しみです。
馬を維持する覚悟
ホースセラピーで得られる効果を、資料などを交えて力説する青木さん
天野:馬を管理・維持するのは大変そうに見えます。
青木:日常の世話だけでなく、私は事務方の人間ですから採算を考えると大変な負担です。誰にでもできる事業ではないですよ。
髙野:軽い気持ちではできないですよね。
青木:現在は費用を負担する覚悟がなければ、ホースセラピーは「やってはいけない」と考えています。
天野:あえて馬を選択するのは、やはり犬や猫とは違った効果が得られるからですか?
青木:そうです。良し悪しではなく、得られる効果の多様性が全く違うと考えています。JRA(日本中央競馬会)の冊子にホースセラピーが詳しく解説されていて、それを知ったうえで馬と接すると違いがよく分かります。
学校から消えた飼育動物
髙野:私たちは仕事でよく学校に行くのですが、いまの学校には飼育動物がほとんどいません。私が子どもの頃は、学校で飼育する動物の生き死にから命の大切さをたくさん学びました。
青木:そうですよね。私たちも牧場を作るにあたって、馬以外にも鹿やウサギなど、さまざまな動物を飼育してはどうかと考えました。ただ現実はもっと複雑で、現代ではウサギを小屋に入れていると虐待になる場合があります。
実際に動物虐待に関する社会的関心は高まっていますし、動物虐待と対人暴力の連動性を指摘する研究者もいます。だからこそ「幼いときから動物に触れ合う機会が必要なのでは」とは思いますが、実現するには高いハードルを越えなければなりません。
髙野:難しいですね。動物と触れ合える場所に「行きたくない」子どもはいませんよね。動物虐待を容認はできませんが、子どもたちの純粋な好奇心も潰したくないです。
青木:私たちは地域貢献をしたい思いから、この牧場を立ち上げました。すぐ近所に動物と触れ合える牧場があるなんてとてもいいと思います。いまは難しくても、いずれは実現していきたいと考えています。
牧場のこれから
天野:今後の展望をお教えください。
青木:まずは職員や就労支援の人たち、患者さんが牧場の運営に慣れることが大切です。安全な運営があってようやく、その先の展望が見えてきます。
具体的には、牧場とホースセラピーを生かした循環システムの構築を考えています。
ホースセラピーを通じて各種支援や治療を行い、馬を飼育する過程で発生するフンや、地元の関家具さまから提供していただいている馬小屋のおがくずを、畑の堆肥にして農作物を栽培する。そして、畑で採れた野菜を敷地内のレストランで調理して提供する。
そんな牧場の中で完結する循環を構築して持続可能な環境を目指します。
髙野:なるほど、とても面白いアプローチですね。
自分を受け入れる「きっかけ」としてのホースセラピー
「のぞえ総合心療病院」の理事長/院長、堀川公平(ほりかわ・こうへい)先生
天野:ホースセラピーを導入した経緯を教えてください。
堀川先生(以下、敬称略):精神医療は、病気に対する不理解から歴史的に見ても偏見に満ちた病理です。特に日本では顕著で、収容主体の管理的な治療を施してきました。
私は逆に患者さんの健康的な部分に光を当てるのが精神治療だと考えています。科学的な薬物療法は最低限にして、いろいろな方法を治療に試す。それがこの病院のコンセプトです。
これは実際にあった話ですが、柔道をやっていた患者さんが暴れて10人がかりでやっと抑え込んだことがありました。患者さんと話をしたら「カラオケが歌えるなら暴れない」と言うんです。
髙野:なぜカラオケ…。
堀川:私も同じことを思いましたよ「なぜカラオケ…」って(笑)。
一同:(笑)。
堀川:それでカラオケを準備して、患者さんが6曲ぐらい歌ったら、なぜか落ち着いてくれたのです。
きっかけはなんでもいいのです。自分を受け入れられるきっかけがあれば心が少し落ち着きます。劇的には変わりませんが、小さい積み重ねで少しずつ楽になって行くのですね。
馬はひとつの「きっかけ」作りに最適だと思います。病院では以前からドッグセラピーを導入していて、動物介在療法が有効なのは知っていました。
馬は犬より大きくて迫力があります。その大きさがとてもいい「きっかけ」になるのではないかと思ったのです。
自分よりも圧倒的に大きな存在と心が通じ合う感覚。うまくは説明できませんが、それが治療に有効な気がしました。
髙野:あ、それは私もついさっき体験しました。私は比較的動物と接する機会が多いのですが、先ほど牧場見学で馬を紹介された時に怖いと思ってしまいました。大きいし迫力があるし、かわいいよりも怖い方が先に来てしまったのです。
ところが一通り触れ合った後に、馬が自分から寄ってきてくれたんです。なんだか馬に許容された気がして、気がつくと恐怖心が少し消えていました。これがセラピーとして体験できるのなら、すごい効果が期待できると思います。
堀川:うんうん、いいこと言うじゃん(笑)。いろいろ制約はありますけど、私は馬が治療で病室に入って来てもいいと考えています。治療がなかなか進展しない場合には特にそう。人間にできないことが馬にはできるのです。
日本の精神医療の現状とホースセラピーの役割
牧場で飼育する馬たち
堀川:日本の精神科病院はとても遅れているところがあります。私たちは現状を改善しようと、多くの精神科病院とはまったく別の考えで病院を運営しています。
医療には流れがあって、ある日突然、革新的な治療法が出てくることはなく、過去が今に繋がって、それが次の道を開いてくれます。ですから遅れたままでいると未来へ繋がっていかないのです。
ホースセラピーは、私たちが昔からやってきた治療の延長線上にあります。それは、病院で子どもたちをたくさん診てきたからこその治療法なのです。
天野:患者さんが若いと聞きました。
堀川:患者さんの4分の1ぐらいは子どもたちです。系列の「のぞえの丘病院」(久留米市上津町)ではもっと多くて7割が子どもたちです。
子どもへの治療はさまざまな気付きに繋がっています。投薬量にしかり、病院環境にしかり、大人とは違った配慮が必要です。
髙野:日本の精神医療の遅れは何が原因でしょうか?
堀川:日本の精神論が影響していると思います。弱音を吐くと「甘えている」と思われてしまう。必要なことを教えずに自分一人で気付けっていうね。
髙野:自己責任とよく言われますが、そうすると人に聞くこともできなくなって、ますます孤独に感じてしまいますよね。人は孤独になると、最終的には自殺に追い込まれることもあると聞きます。周りはどうしてあげたらいいのでしょうか?
堀川:孤独を感じている人は、それを悟られないようにしていることが結構多いんですよ。周りの人はまずそれに気付いてあげなくちゃいけない。
本当に怖いのはその先で、誰にも相談できない環境にずっといる人は「孤立」してしまいます。孤独は生産的なエネルギーに変えることもできますが、孤立は無理です。ただ沈んでいくしかない。
自分が孤立していることに気付くのはとても難しくて、知らないうちに疎外感が積み重なってうつ病の発症などに繋がります。
髙野:逃げたくても逃げ場がないということですか。
堀川:そうです。もちろん病気なのでちゃんとした治療が必要です。加えて、自分の生き方そのものを見直す必要もあります。
髙野:私も撮影などで学校へ行くと、孤立している子どもを見かけることがあります。教員ではないので声を掛けもできず悶々とします。今日、実際に馬に触ってホースセラピーがそのヒントなのではと思いました。
堀川:心を閉じた子どもは、何かから自分を守ろうと必死で防御している状態です。
一方で、閉じている期間が長く続くと次第に常態化して、自分が何を守っていたのかが分からなくなってしまう。そうなると守る行為が逆に自分を傷付けてしまうことになってしまいます。
私は馬が、その心を開くきっかけになってくれると考えています。
踏み出すことで未来を変えて行く
柔和な笑顔で説明する堀川先生
髙野:先ほど青木さんから今後の展望として、牧場で循環するリサイクルシステムのお話を聞きました。人間が壊してしまった自然環境を元に戻す仕組みを作ろうとしていると感じました。
堀川:人間はずいぶん自然を壊したから、やっとみんながそのことに気付きだしていますよね。ある程度、冷静な人なら「このままじゃダメだ」って分かりそうですけど。
髙野:私たちは東京の多摩地域から来ました。23区よりも自然が多く残る地域なのですが、そこですら今は、私の子ども時代とは明らかに違う風景になっています。ゆっくりですが着実に変化しています。
堀川:経済的な発展と自然環境の保全はトレードオフの関係にあります。悩ましいところですよね、どう折り合いをつけていくのかがとても難しい。
髙野:私は市街化調整区域に牧場をつくってしまうチャレンジ精神にとても感動しました。
堀川:一歩足を踏み出すことそのものに夢があると信じてやっていきます。
髙野:信念がないとできないことですね。
堀川:あんまり信念があり過ぎると逆にできないよ(笑)。
一同:(笑)。
天野:本日は興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
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